川崎市 葬儀における香典とは

2018/03/25
香典

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葬儀における香典

香典はかつては『香奠』と書きました。『香を供える』という意味です。これから転じて、香を買う代金である『香典』『香資』『香料』になりました。

 仏教民俗学者の五來重氏は、元来は墓に香花(=樒、しきみ)を捧げたことに由来するのではないかと推察しています。、また宗教学者の藤井正雄氏は六種供養(仏を供養する華・塗香・水・焼香・灯明・飲食の6種)に由来すると説明しています。

 室町時代後期には武士が金銭香奠を出した記録がありますが、農村部において香奠とは、長い間、米などの食料を持ち寄ることでした。その後、都市では明治期に全銭香典が一般的になりましたが、地方で金銭香奠に移行し始めるのは大正期あるいは昭和初期からのことです。戦前までは米などの食料香奠もまだまだ残っていました。貨幣経済が発達することによって、金銭香奠が一般的になりました。

 食料香典の由来は、仏教的には香が『仏の食べ物』という意味から転じて『食料』になったものとも考えられますが、現実的には葬儀で食事の振る舞いが盛んに行われたことに求められます。葬儀の期間、地域の共同体に属する人々は子供も含めて宗家の振る舞いにあずかり、自分の家では食事をしなかったという記録もあります。喪家では死者の成仏を願い、滅罪するための布施として、人々に食事を振舞いました。現在でも『ホトケの供養になるから』と食事に連なることが求められるのは、このためです。

 振舞いのための食料を用意する必要から、親族は多量の食料を提供しました。これが『親族香奠』です。かつては忌みの観念が強かったため、親族香奠は忌みのかかる程度に比例した香典、つまり故人との血縁の親疎に比例して香典を出したとも説明しています。

 また、近隣の人々は自分達の食する分をもちよりました。これが『村香奠』です。現在でも、親族の香典は多額で近隣の人々の香典は少額なのが一般的です。

 もっとも近隣の人々は葬儀のために多大な労力を提供していましたから、労働の香奠の意味をもっていたと考えることもできます。葬儀を出すと近隣の人々に振る舞いをしなければなりませんでしたが、これは多額な出費となりました。喪家やその親族の負担は大きく、貧しい家では『葬儀は出せない』という事態も出て、香奠はそうした状況に対応する相互扶助としての意味ももっていました。今でも地方の古い家には、かつて自分の家で葬儀を出したときの香典帳が保存されており、他の家で葬儀があると、前に自分の家で葬儀があったときにその家が出してくれた香典と同等の金額をおくるということが行われます。香典は地域社会における義理(ぎり)の1つであり、義理を返すことは相互扶助的精神の現れでもあったのです。

 

香典の表書きについては、こちらの記事を参考にして下さい。

参考:川崎市、横浜市 お香典の表書きについて

 

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